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パチスロ 2号機時代
2005年 06月 14日
風適法にパチスロ(1号機)が規定されてから3年後の1988年(昭和63年)、規則改正により2号機が登場するようになります。
1号機(1.5号機)からの主な変更点は『1プレイ4秒(以上)規制』『純増枚数350枚』『クレジット機能やCタイプの追加』、そして『吸い込み方式は認めず、完全確率方式』などがありました。 当時は、1メーカーにつき2機種までの販売と決められていましたので、数こそ出ませんでしたが、それぞれに強烈な個性があったように思えます。 写真は『バニーガール』(オリンピア)。私が最も好きだった2号機の一つです。 当時、貧乏学生でパチスロ素人だった私は、毎ゲームいちいち『7図柄』を狙っていたので、突然降臨する7揃い、また度肝を抜かれる大ファンファーレ(バニーガールとなんの繋がりもない草競馬)の恍惚感にシビれ、学校の僅か一時間の昼休みにですら打ちに行ったものです。 もう打てないと思っていましたが、まだ名古屋で現役らしいので、是非今度打ちに行ってみたいと思ってます。情報お持ちの方いらっしゃいましたら教えてください。 そういえば、2号機時代の代表機種ってなんでしょうかね。 『スーパーセブン』のスベリ、『ウィンクル』のビタ止まり、『アラジン』の強烈な集中役、『センチュリー』『リバティーベル』のデカ7&テンパイ音、『ビッグパルサー』の大量リーチ目、他にもたくさんありますが、どれを取っても個性が強く、印象深いものですねー。 メインリール上での「すべった!」「テンパイした!」などの単純な動きですら、盛り上がれた時代ですね。 2号機を打っていた人それぞれに代表機種があるのかも知れません。 パチンコもそうですが、ハネモノや一発台などの『玉の動き』が大当たりに直結したように、パチスロもリール上のほんのちょっとした動きを察知して大当たりを掴む。これが本来のパチンコ・パチスロの醍醐味ではなかったでしょうか。 このアナログな感覚こそ、『遊技』であるように思えます。 殆ど全てがデジタルな液晶搭載機である今、そういった『遊技感覚』が少なくなっているように思えます。大当たりまでデジタル処理ですし。 ほんの僅かな台の傾斜や、釘、役物のクセ、または外部からの衝撃(ぶん殴りですネ)、など目に見える物理的な大当たり要因が大きければ大きいほど、なんとなくどこか温かみがあって、なんとかなっちゃう・・ような気がします。台を殴ればホントに当たっちゃったりしましたもんね。(怒られますが) 時代は流れ、今は液晶で色々やるのが主流になり、アナログな感覚はさっぱり薄れてしまいましたが、そのうち古き良き時代のスタイルが見直される時はくるのでしょうか。 私はなんとなくですが、この先、アナログ回帰の時代もあるように思えます。まぁ、願いの方が大きいですが・・。
by bar-_-seven
| 2005-06-14 12:17
| パチスロの歴史
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