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パチンコ・パチスロの様々な事情。アジア情勢、ニュース論評など、真面目じゃない筆者が好き勝手に書くブログ。
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カテゴリ:パチスロの歴史( 4 )
パチスロ 4号機登場
c0008823_1123093.jpg1992年(平成4年)の規則改正により、市場は4号機をむかえる事となります。3号機からの変更点も多く、『Jacゲームの獲得ゲームの上限が6回から8回へ』『BIGの獲得枚数が純増枚数から期待値方式に』『集中のパンク確率の引き上げ、小役、シングルボーナスフラグの持ち越し禁止』など、大幅な変更がされています。中でも『リプレイ』という再遊技が搭載されたのは、この4号機からです。

写真は初の4号機で、新規参入メーカー『エレクトロコインジャパン』(現エレコ)から販売された『チェリーバー』です。
当時の市場はまだ3号機、特にBモノが多く、「4号機って全然連チャンしないんでしょ?」などとあまり評判の良いものではありませんでしたが、ユニバーサルと提携していた事もあり、導入は早かったように思えます。

私は導入直後、中野の「てんとう虫」というお店(ユニ系直営店で今はありませんが)でこの『チェリーバー』を初打ちしたのですが、初搭載されたリプレイ揃い時に、ついコインを投入してしまったりと、やり難さに戸惑いながら打っていたものです。
また、隣のニイチャンに「リーチ目って何?」と聞いた時、「真ン中が光るから」なんて答えが返ってきて「何言ってんだろ?このニイチャン」な~んて不思議に思ってました。
当時は沖縄にしか設置されていなかった沖スロを除き、フラグの告知はリーチ目のみの機種しかありませんでしたからね。
後日、そのバックライトフラッシュに気付き、衝撃を受けたものです。
リーチ目についても結構秀逸で、アツイ上段7停止や、当時は珍しい小役の組み合わせリーチ目『ベル-ベル-チェリーバー』が出現したプレイでフラッシュしなければ集中役などと、初の4号機にしては優秀なゲーム性を持った機種でした。『ベル-ベル-チェリーバー』は後の大ヒット機種『クランキーコンドル』のリーチ目「リリス」の原型ですねぇ。たぶん。
期待値方式になり、リプレイハズシが通用した機種でもあります。
また、バックライトフラッシュ時、今で言うジャグラーのGOGOランプみたいのが光る仕様だったのですが、当時はモーニングサービスが全盛の時期で、朝イチにモーニング台を見破られない為に、大抵のお店ではランプが切られていました。

この『チェリーバー』を皮切りに、長い4号機の時代がはじまりました。
同じ4号機の規則でも、新しい解釈に基づいた様々な機種が出回る事となります。
ホント、振り返ると随分とパチスロも変わっていったものですねぇ。
これから迎える5号機時代は、全てその過去の歩みや布石があってのことですから。
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by bar-_-seven | 2005-06-21 11:59 | パチスロの歴史
パチスロ 3号機時代
c0008823_11414510.jpg1990年(平成2年)、2号機基準の施行から僅か2年後に規則が改正され、3号機が登場します。
主な変更点は、『1ゲーム4.1秒』『集中のパンク確率は300分の1以上』『小役(フルーツ)の集中の禁止』くらいだったでしょうか。
2号機アラジンの強烈な集中役『アラジンチャンス』の射幸性の高さに目をつけた上での改正であった意味合いも大きいでしょう。

3号機で導入が早かったのは、『スーパープラネット』(山佐)で、いきなりの大人気を博し、大ヒットになりました。
同時期に『スーパーコップ』(北電子)も新筐体で発売していた記憶があるのですが、設置店が見つからず、打てなかった覚えがあります。楕円形のストップボタンが目新しく、打ってみたかったんですがねぇ。

2号機で許されていたフルーツの集中役や、前述のアラジンチャンスのような『著しく射幸心を煽る』機種の牙を抜いたはずの改正でしたが、3号機時代はこれが皮肉にもBモノが一挙に蔓延させる結果となってしまいました。

3号機ではBモノでないノーマル機種の方が少なかったのではないでしょうか。
写真の『コンチネンタル』(ミズホ)も、強烈な連チャン性が話題を呼び、大ヒットとなりましたが、その連チャンも「4枚掛け状態では100%BIGが成立する」というプログラムと、『CS-90』と呼ばれたコインセレクターの4枚掛けコマンドの発信によりつくられた違法なもので、あの『4枚掛け攻略法』を誘発してしまい、社会問題になりました。

その他にも、『ワイルドキャッツ』(アークテクニコ)、『セブンボンバー』(バルテック)の貯金方式を用いた連チャンや、『リノ』(ニイガタ電子)の攻略法なども問題になり、前述のミズホとあわせ、これらのメーカーは日電協脱退処分となった経緯があります。

話は逸れますが、個人的には『セブンボンバー』が大好きでした。
あのキラキラする『7図柄』、テンパイ時に枠上照明がチカっとするショボイ演出(笑)。揃えた時の音とかBIG中のランプとか、かなり好きだったんですよねー。
ノーマルでもいいから現役で使っているお店ってないんでしょうか・・。

さて、社会問題に発展するほどBモノが蔓延した3号機時代も、僅か2年で規則が改正され、4号機時代を迎えることとなります。
4号機が登場する直前の市場では、

『もう4号機はBモノは不可能だし、連チャンもしないつまらない機種になる』
『集中のパンク確率もさらに上がるから、全然出ない機種ばかりになる』

などと囁かれていました。
しかし、長い4号機時代でもBモノは出回りましたし、ストック機やAT機など、3号機時代にあった連チャンのシステムを再現すべく、表面上は合法である脱法連チャン機を可能にし、現在の市場にも引き継がれました。

結局、『連チャン=出玉=射幸心を煽る機械』は、どの時代でも求められていると言う事でしょうね。5号機時代はそれを再認識させられる時代になるのではないでしょうか。
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by bar-_-seven | 2005-06-15 12:50 | パチスロの歴史
パチスロ 2号機時代
c0008823_1101456.jpg風適法にパチスロ(1号機)が規定されてから3年後の1988年(昭和63年)、規則改正により2号機が登場するようになります。
1号機(1.5号機)からの主な変更点は『1プレイ4秒(以上)規制』『純増枚数350枚』『クレジット機能やCタイプの追加』、そして『吸い込み方式は認めず、完全確率方式』などがありました。
当時は、1メーカーにつき2機種までの販売と決められていましたので、数こそ出ませんでしたが、それぞれに強烈な個性があったように思えます。


写真は『バニーガール』(オリンピア)。私が最も好きだった2号機の一つです。
当時、貧乏学生でパチスロ素人だった私は、毎ゲームいちいち『7図柄』を狙っていたので、突然降臨する7揃い、また度肝を抜かれる大ファンファーレ(バニーガールとなんの繋がりもない草競馬)の恍惚感にシビれ、学校の僅か一時間の昼休みにですら打ちに行ったものです。
もう打てないと思っていましたが、まだ名古屋で現役らしいので、是非今度打ちに行ってみたいと思ってます。情報お持ちの方いらっしゃいましたら教えてください。

そういえば、2号機時代の代表機種ってなんでしょうかね。
『スーパーセブン』のスベリ、『ウィンクル』のビタ止まり、『アラジン』の強烈な集中役、『センチュリー』『リバティーベル』のデカ7&テンパイ音、『ビッグパルサー』の大量リーチ目、他にもたくさんありますが、どれを取っても個性が強く、印象深いものですねー。
メインリール上での「すべった!」「テンパイした!」などの単純な動きですら、盛り上がれた時代ですね。
2号機を打っていた人それぞれに代表機種があるのかも知れません。

パチンコもそうですが、ハネモノや一発台などの『玉の動き』が大当たりに直結したように、パチスロもリール上のほんのちょっとした動きを察知して大当たりを掴む。これが本来のパチンコ・パチスロの醍醐味ではなかったでしょうか。
このアナログな感覚こそ、『遊技』であるように思えます。

殆ど全てがデジタルな液晶搭載機である今、そういった『遊技感覚』が少なくなっているように思えます。大当たりまでデジタル処理ですし。
ほんの僅かな台の傾斜や、釘、役物のクセ、または外部からの衝撃(ぶん殴りですネ)、など目に見える物理的な大当たり要因が大きければ大きいほど、なんとなくどこか温かみがあって、なんとかなっちゃう・・ような気がします。台を殴ればホントに当たっちゃったりしましたもんね。(怒られますが)

時代は流れ、今は液晶で色々やるのが主流になり、アナログな感覚はさっぱり薄れてしまいましたが、そのうち古き良き時代のスタイルが見直される時はくるのでしょうか。
私はなんとなくですが、この先、アナログ回帰の時代もあるように思えます。まぁ、願いの方が大きいですが・・。
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by bar-_-seven | 2005-06-14 12:17 | パチスロの歴史
パチスロ。デビュー体験
c0008823_1101166.jpg風俗営業取締法(風営法)が、1985年(昭和60年)に「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」、いわゆる「風適法」と名称を変えた年、パチスロもこの法律の基準で作られるようになりました。そしてパチスロ1号機が登場したのですが裏ROMや攻略等が蔓延し、急遽、日電協ROMに統一され、変更したものから1.5号機と呼ばれるようになります。クレジット機能はなく、BIGの払出は純増で370枚程でした。
昭和60年以前のパチンコ業界は「取り締まる対象」だったのですね。昔はホールの雰囲気もなんとなくアングラな世界でしたしね。

で、写真はその1.5号機『トロピカーナ7x』(メーシー)。私が初めて触ったパチスロ機です。
それまでは主にハネモノを2000円とか3000円とかでチマチマ遊んでました。
1回に1000円分ものコインを買わなければならない(100円からの貸出機を置いているお店もたまーにありましたが)パチスロは、貧乏学生だった私にとってハードルの高いもので、やり方もわからないし、パチスロをやる友達もいませんでしたし、一番のネックは金がない、という事で、ただ眺めているだけだったのですが、ある日『ちょっとやってみよう!』と決心し、この『トロピカーナ7x』に座ったのでした。

全くの無知なド素人でしたから、コインを買ったはいいがどうやるんだろ・・なんて思いながら後ろのオジサンを観察してみると、どうやら3枚のコインをいれてまわしてる。しかも高速で。
「うげー、一度に3枚も入れてあんなに適当にまわしてソンしないのか?」
なんてショックを受けながら、3枚投入には意味があるんだと勝手に納得し、自分も打ってみる事に。
とにかく『狙えば揃うんだろう』なんて妄想を抱いてましたから、一生懸命BARを狙う私。
なんでBARなのかって?そりゃ、黒い塊しか見えなかったからですヨ・・。
しかし何回やっても揃わない・・。そろそろ貴重な50枚もなくなりかけ、ショックで目の前が真っ暗になりそうだった時、突然それは揃ったのです。・・・そう、BARが!(笑)
「ヤッター!」なんて大喜びしたのも束の間、揃ったのに電子音が鳴るだけでコインは少量しか出てこない。揃ったら一気にジャラジャラ大量のコインが出てくるものだと思っていた私は、そこではっと思いつきました。

『これは早く打たなきゃパンクしてしまうのではなかろうか』

当時やっていたハネモノやセブン機などもパンクの概念があり、Vゾーンに玉が入らなきゃ大当たりが途中で終わってしまうのは常識だったので、こりゃとにかく早く打たなきゃいけないと。
ところが、3枚投入しても2枚払出口から戻ってきてしまいます。
何回やっても戻ってくるからレバーを叩く。回ったリールを止めてみるけど1リール止めたところで15枚の払出のみで、残りのリールは止まらず回りっぱなし。
さすがにパニくる私。
※当時のJacゲームは1リール1コイン型で、1枚投入毎に1リール停止させ払出を受ける形が主流でした。

「やべー・・・やべー・・・パンクする~~。終わっちゃう~~。」

と、半分ヤケでコインを入れてみたりレバーを叩いてみたり、ストップボタンを押してみたりを繰り返し、全部で100枚ほどのコインが出てきたところ、どうやら終了した様子。
パンクしたのか、無事消化したのかは分からなかったが、とりあえず買ったコインより増えたのは確実なので、また数プレイ狙ってみて揃わないのを確認し交換しに行きました。

で、戻ってきたのは1000円。
1000円使って1000円回収・・・・。

今思えば、この私のパチスロデビューは貴重な体験でした。たったの1000円であんなにドキドキワクワク出来たなんて、もう2度とないと思います。
そして、勝てもしなかったけど損もしなかったので、『また今度もチャレンジしてみよう』と思ったのが運のツキで、いまや仕事までパチスロ関係になってしまいました。
今の人生の出発点ともいいますか、当時の思い出は今も鮮明に残っています。

皆さんのパチンコ・パチスロデビューは如何でしたか?
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by bar-_-seven | 2005-06-13 12:32 | パチスロの歴史