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日韓併合についての一考察
2005年 02月 15日
百の質問
この記事は、TB元であるブログ主のkrj2005さんの、ご意見についてコメントを記入させて頂こうと思ったのですが、あまりにも長くなりすぎましたのでご迷惑かと思い、自分のブログ記事に書き込みました。 内容としては、日韓併合に反対した朝鮮人が多数いたというご意見を拝見して、私自身が当時の朝鮮人が日韓併合に対してどういった反応をしていたかという事を、歴史事実を踏まえて推測し意見を述べるものです。 以下がkrj2005さんがコメント欄に書き込まれていた内容 『日本による韓国併合に反対した朝鮮人も多数いたわけですから、しぐまさんが上記の指摘で朝鮮人を全て一括りにしていることに私は反対します。その後の解放闘争や三・一独立運動を見ても、むしろ朝鮮の民族的なコンセンサスは日本による朝鮮支配に対して、反対していたと判断しています。』 この『朝鮮の民族的なコンセンサスは日本による朝鮮支配に対して、反対していたと判断しています』という意見に対してですが、三・一運動そのものは日韓併合後9年経てから始まった運動です。それまでの反対勢力などはごく少数であり、韓国内の治安維持に対応する日本の憲兵警察は7000人(朝鮮人警官を含めると約7700人)しかいませんでした。 ですから、日韓併合当時や最初の9年間に関しては反対勢力が多数いたという解釈よりも、9年たって反対勢力が増えてきたと考えるべきで、少なくとも日韓併合当時は一般国民にも拒否反応無く受け入れられたのだとも解釈できます。 また、朝鮮人が日本による併合を選んだのは両班支配に終止符をうちたかったからと言う事も理由の一つとしてあるのだと思われます。(両班支配に対しての説明は、日本統治よりも陰湿であったものだというのは十分認識されているだろうと思いますので省きます) 勿論、自称100万人の会員数だと言われた一進会という、日韓併合の道を自ら選んだ勢力があった事実も無視できません。 また、比較する材料として台湾の日本統治時代がありますが、台湾が日本領有になってから最初の15年間は反対勢力のゲリラによる武力抵抗が激しく、日本軍による討伐戦争が数多く行われていました。 この事からもわかるように、反対派が多数いたのならば台湾のように併合前もしくは併合直後から三・一運動のような反対運動が行われるのが普通で、9年間も治安維持に携わった憲兵警察が7000人で済んだのは、一般に広く併合が受け入れられていたという証拠ではないでしょうか。 この7000人がどれ程の数か比較する材料を挙げますと、当時の朝鮮国内の人口が1300万人であり、これは現在の東京都と同等の人口です。そして現在東京都の警察官の数は約25000人になっています。補足として同時期の台湾の警察力は朝鮮の2倍でありました。 その他の理由として治安状態の推移などもありますが、1908年の10月から翌年の初年度に発生した傷害事件は780件約3万4400人。併合当初から五年後には同様の事件は5件45人まで減少しています。これも日本による統治や治安維持が一般国民にスムーズに受け入れられていた事をあらわす事実の一つだと思います。 このような事実から推測すると、三・一運動のような反対運動は、併合自体よりもむしろ併合にかかわる統治の内容に対しての一種の政治運動であり、日韓併合自体を日韓併合前から反対していたとする認識は少し違ってくると思います。重ねて言いますが、この運動は『日韓併合から9年後』に初めて顕著になったというのが事実です。 歴史の認識に対して、感情からくる面も多々あるのは解るのですが、過去に行われた歴史事実は、その時代の背景や状況を知った上で考えるべきで、その事に対して現在の倫理観で善悪を決めるようなこと自体ナンセンスです。 行われた理由や経過を見ずして結果だけを判断すべきものではありません。 また、当時の朝鮮国内に日韓併合に反対する人々がいたとしても、朝鮮政府として日韓併合に賛同したのですから朝鮮人の総意として受け入れねばなりませんし、それが歴史の事実であります。 現在、韓国内で一般に韓国併合は反対だったから断罪されるべきものだという考えは、例えて言えば、昔日本でも消費税の導入の反対運動や安保闘争など、政策に対しての反対運動が数多くありましたが 「消費税が導入されたが、私は導入前から反対していたので無効だ。払わない」 と言っているようなものです。 こんな事にいちいち対応していれば、国家間の条約や政策全てが事後に無効とされてしまい意味の無いものになってしまいます。 決して歴史は事後の価値観で判断するべきものではないと思いますし、ましてや感情論で歴史事実を断罪するべきものではありません。
by bar-_-seven
| 2005-02-15 02:30
| 中国・朝鮮半島関連
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