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パチンコ・パチスロの様々な事情。アジア情勢、ニュース論評など、真面目じゃない筆者が好き勝手に書くブログ。

by bar-_-seven
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パチンコの歴史 発展期前編
パチンコの発展期を支えた人と言えば「パチンコの神様」と呼ばれた正村竹一氏です。
「正村ゲージ」を考案したこの人なしでは現代のパチンコは無かったでしょう。
今回は近代パチンコの基礎を築いた正村竹一氏とそれを支えた人々のお話です。


さかのぼる事、昭和11年から12年頃。名古屋で藤井文一という人が、それまで主流だった一銭銅貨などメダルを入れる方式から、直接玉を入れる「鋼球式」を考案します。
そして、この新製品を作るためパチンコ台を作る上で必要なベニヤ板やガラスなどを探しに行きました。そこで行き着いたガラス屋の主人が、後にパチンコの神様と呼ばれる正村竹一だったのです。

正村竹一は明治39年9月5日に岐阜県の貧しい農家に生まれました。21歳の頃、単身名古屋に出て大工なども経験し、最終的にガラス商として独立。そこで前述の藤井氏と巡り合った訳です。そしてこの縁がきっかけで正村竹一もパチンコ屋を開業します。
この出会いがなければ現代のパチンコは無かったんですねぇ。

さて、パチンコの歴史 黎明期編で書いた通り、この後日本は戦争に突入しパチンコが全面禁止になります。
そして全国の大都市が空襲で焼け野原となったように、例外なく名古屋も大空襲を受けました。
正村竹一もB-29の爆撃によって負傷し長い闘病生活を強いられる事になります。
しかし奇跡的に正村竹一の店を含む周辺は被害を免れていたのです。
そして、昭和21年。わずか20台のパチンコ台からパチンコ店を再開します。
敗戦直後の状況においても、正村竹一のパチンコ店は大繁盛しました。
しかし、大人気なのはいいがパチンコ台が足りない。
そこで、正村竹一は自らパチンコ台の製造に乗り出します。

当時のパチンコ台は釘が盤面一杯に等間隔に打たれていました。
ですから、作った試作機を打ってみてもボトボトと玉が落ちるだけ。

そこで、正村竹一は等間隔に打たれた釘を1本、2本と抜いて打ってみました。
そうすると抜かれた部分に隙間が出来て、その隙間では玉が釘に当たって跳ね、次にどこへ飛ぶかわからない動きをしました。

このひょんな出来事から次々と正村竹一の頭脳に閃きが生まれます。
「まずは、玉が飛んで最初に当たる部分・・一番高い所『天』だ!」
初めに「天釘」が、そして天釘にあたって玉が流れる「カタ」の部分や八の字や逆八の字にした「ハカマ」など次々と出来ていきました。

色々試作し打って動きを追ってみる。釘の並びだけだとつまらないから風車もつけてみる。
こうした試行錯誤の末、それまでのベタ釘ではなく、まったく新しい「正村ゲージ」が誕生したのです。
そしてさらに正村竹一の従兄弟にあたる長崎一男氏が発明した「オール物」。
これは、それまで入賞しても2,3個だった賞球を、どこの穴に入っても10個や20個などの玉を一気に払い出す装置です。

「天釘」の同じ場所に玉を打ってもどこに流れるかわからないくらい、玉の軌道が変化する「正村ゲージ」と入賞すると一気に20個の玉を吐き出す「オール物」の融合により、正村竹一の店は連日満員の大盛況となります。
パチンコの歴史 発展期前編_c0008823_163244.jpg
昭和24年の出来事でした。
                           正村竹一氏

まずは自分で何が面白いのかを、実際打ってみて試行錯誤した正村竹一でしたが、現在でも、この「正村ゲージ」が基本になっているという事は、ある意味開発した時点で完成型になっていたと言う事ですねぇ。
正村竹一が「天釘」を基本にしたように、現在でも釘師が釘を叩く時は「天釘」から叩き始めるのが基本です。

そしてこの「正村ゲージ」からパチンコが発展していったのは、さらに様々な理由がありました。
続きは「パチンコの歴史 発展期後編」にて
by bar-_-seven | 2005-01-18 16:36 | パチンコの歴史